セツ・モードセミナーの思い出

2018.07.16(0:00) カテゴリ:Essay

1998〜2000年の間、新宿にあった長沢節先生のセツ・モードセミナーに通っていました。

芸大に進学したくて、斉藤美術研究所やすいどーばた美術予備校で勉強していましたが、浪人中に精神的に参ってしまい入院。受験の重圧が原因でもあることから、主治医から大学進学を断念するように説得され、退院後は気持ちの整理がつかない日々を過ごしていました。

病院のデイケアに通い、作業療法を通じて心の回復に励んでいましたが、デイケアも三年目に入り、だいぶ回復してきた姿をみて、デイケアスタッフから無理のない範囲でのアルバイトを勧められ、地元のスーパーの青果部に週三日働き出しました。

この頃、玄光社から刊行されている『イラストレーション』を愛読していた私でしたが、とある時のアートスクール特集のページに目が留りました。

「セツ・モードセミナー」

活躍しているイラストレーターのプロフィールでよく目にする名前でしたが、実際どんな学校なのか全く分かっていなかった私。ですが、その特集記事を読んでみて、多方面の分野において才能ある人たちをたくさん輩出している学校とわかり、「行ってみたいな・・」と思うようになりました。

多くの才能を輩出している学校に興味をもったことに加えて、基本週三回の授業であることと、学費が格安というのが魅力的だったからです。

週三回ならアルバイトを続けながら山梨から通えるし、学費が格安なので自分のアルバイト代から捻出できると思ったからです。

そうして、1998年の春から高速バスで山梨から通い出した私ですが、セツ・モードセミナーを選んだことは大正解でした。

セツ・モードセミナーでの授業は、基本的には「手」「顔」「モデル」のデッサンと「人物水彩」の繰り返しです。個別に言葉による指導をすることは殆どありません。ただ同じことを繰り返すのです。でも不思議なことに、この繰り返しをしていく内に、次第になんとなく感覚的に「絵の見方」がわかってくるのです。これがセツ・モードセミナー独特の美術教育なのでしょう。また、校長の長沢節先生は驚異的なデッサンの達人で、魅力的なデッサンを10分足らずで仕上げてしまうのですが、その先生と肩を並べて同じ教室で学べたことも非常に刺激的でした。

長沢節先生は1999年にお亡くなりになりましたが、直接ご指導いただいた一番最後の生徒となれたことは本当に幸運だったと思っています。

在学中はセツっぽい絵が描けず、二年間で「A」は片手で数えるくらいしかもらえませんでしたが、「良い絵」「良い色」「良い構図」という「絵の見方」を、言葉でなく体験的に学ぶことができて、今の自分の基礎を作っていただいた思っています。

変わった格好をした不思議な長沢節先生は、素晴らしい才能と共に、ご自身の哲学をお持ちの一本筋の通った気骨のある格好いい人でした。「日本では、美術を学ぶのにお金がかかりすぎる。貧しい人でも美術の勉強ができる場を作りたい」という、反骨精神溢れる長沢節先生の優しい思いで創立されたセツ・モードセミナー。その優しさのお陰で、私も美術を学ぶことが出来ました。

セツ・モードセミナーで学んだあの頃から、あっという間に20年。昨年は惜しまれつつセツ・モードセミナーが閉校したようです。

授業の始まりを知らせる鐘の音。休憩時間が近くなると、階下からのたち昇ってくるコーヒーの香り。雨に濡れてしっとりとした中庭の植物。

ゆったりとした静かな時間が流れていたセツ・モードセミナーで、多くのことを学ばせていただきました。

今でも、長沢節先生とセツ・モードセミナーの思い出は、心の奥に大切にしまっています。