『福音ソフトボール 山梨ダルクの回復記』のダイさんのこと

2018.06.15(10:52) カテゴリ:Publishing

 

2013年9月にミツイパブリッシングから刊行した『福音ソフトボール 山梨ダルクの回復記』。

山梨県立北病院に掲示されていた山梨ダルクのポスターをみたことや、新聞で山梨ダルクと山梨県警のお巡りさんがソフトボールの交流試合をしていることを知ったことから、少しずつ取材を重ねて出来上がった一冊です。

気持ちだけで動いた感もあり、取材の進め方なども全く分からず、突然押し掛けてしまい山梨ダルク代表の佐々木広さんやスタッフの皆様にはご迷惑をお掛けしてしまったことも多々あったであろうと思っています。

『福音ソフトボール』の取材窓口を担当してくださったのが、スタッフのダイさんでした。身体の大きなダイさんでしたが、いつも恥ずかしそうに身を縮めて丁寧に対応してくださった姿が可愛らしくもありました。

取材中、ダイさんは自分の過去や自分自身に対する素直な想いをお話くださり、私はダイさんのことを「自分と誠実に向き合おうとしている方だ」と思いました。

ダイさんはその後夜間高校に進学し、彼のFBから充実した高校生活を送っていることがわかり、とても嬉しかったです。

夜間高校を皆勤賞で卒業し、就職も決まり、回復の道のりを着実に歩まれていました。

時は流れ、昨年の6月に入り、私のFBの「知り合いかも」の欄にたびたびダイさんが現れるようになり「おかしいなぁ・・?」と思っていました。すでに友達になっているので「知り合いかも」の欄にダイさんが現れること自体が不思議で、私は小首をかしげていました。

その後の1ヶ月間、たびたび「知り合いかも」の欄に現れるダイさんをみて、「久しくお会いしていないダイさん、元気かな?」と彼のことを思っていました。

7月に入った途端、FBの「知り合いかも」の欄に現れなくなったダイさん。そして7月中旬に山梨ダルクのスタッフから、ダイさんが5月に亡くなったとのお知らせをいただきました。

しばらくして山梨ダルクのスタッフに、私のFBの「知り合いかも」の欄にたびたび現れたダイさんのことをお話したら「ダイちゃんらしいわね」と、優しい微笑みを浮かべながも少し寂しそうにお話くださいました。

過酷な成育環境で育ったダイさんが山梨ダルクにつながり、回復の道のりを歩まれた姿は、後に続く回復の道を歩む依存症者に大きな希望と励ましを与えたと思います。

『福音ソフトボール』が刊行できたのも、ダイさんのお力があったからこそです。

ダイさんが帰天して一年。ダイさん、天国でゆっくり休んでください。

本当にありがとうございました。

山梨ダルクHP → http://yamanashi-darc.jp/