「もう一度、絵を描いてみたら」(後編)

2020.03.29(6:37) カテゴリ:Essay

精神的に参ってしまい4ヶ月間精神病院に入院した私は、大いに自信を失い、絵を描くことから遠ざかっていました。でも、そんな私を心配して会ってくれたAくんの「もう一度、絵を描いてみたら」の一言が心に残り、それからしばらく経ったある日、押し入れから絵の道具を引っ張り出して、久しぶりに絵を描いてみようと思いました。

でも、真っ白なB4サイズのイラストボードを前にした私は、正直たじろぎました。絵を描こうと思い立ったものの、何を描いていいのか全くわからず、目の前のイラストボードがとても大きく感じられたからです。

高校時代から芸大・美大受験のために絵の勉強をしてきましたが、それはあくまで受験勉強で、研究所や予備校に行けば用意されたその日の課題を黙々と描けばよかったのですが、いざ自由に自分の描きたい絵を描く、となると本当に困ってしまったのです。

精神的に参ってしまってから、集中力も格段に落ちてしまい、文字を追うこともできなくなっていたので、漫画すら読むことができなくなっていた私。筆を握り、思い切ってイラストボードに色を塗り始めたのですが、5分程度しか集中できず、その日はなんだかよくわからない色を塗っただけで終わりました。何を描いていいのかわからない上に、集中力も続かなかった私ですが、次の日も、そのまた次の日も机の前に座って、「絵」というには程遠いけれど、筆を握り、手を動かし続けました。

はじめは5分くらいしか描けなかったのですが、次第に10分、15分、20分と集中力が持続するようになり、それに伴い薬の量も減っていき、少しづつ元気になっていきました。絵の内容も、はじめはよくわからない色を塗りたくっただけでしたが、次第にイメージが湧いてきて、自分の中に流れる物語を描くようになっていき、段々と描くのが楽しくなっていきました。今振り返ってこの時期に描いた絵をみると、とても下手で恥ずかしくなるのですが、自分にとっては非常に重要な時期の絵で、今でも実家に保管しています。

精神病院のデイケアに通いながら、絵を描き続けた私は次第に元気を取り戻し、山梨県内のスーパーでアルバイトを始め、もう一度絵の勉強をしたいという思いから東京の新宿区にあった画塾セツ・モードセミナーに入学しました。山梨でアルバイトをしながら、週3回セツ・モードセミナーに通う日々は忙しかったけれど充実していましたし、長沢節先生をはじめ、よい出会いもありました。そして幸運にも在学中にザ・チョイスというコンペに入選し、上京。そして今に至ります。

今の私を取り囲む全ての環境は、絵を描き続けてきたことで作られたものと思っています。妻との出会いもそうですし、そのほかの出会いもです。最もつらく苦しい時に、もう一度「絵を描く」という選択をしたことは、非常によかったとつくづく思っていますが、その選択の起点となったのは、あの暑い夏の日のAくんの「もう一度、絵でも描いてみたら」の一言です。元気のない私を励ます意味で言ってくれたであろうあの一言がなかったら、今の私はありません。

人から発せられた心ない言葉に傷つき、長く苛まれることもありますが、同時に人から発せられる言葉によって救われ、人生が大きく変わっていくこともあります。Aくんの言葉に救われた私。Aくんには感謝しかありません。

Aくん、本当にありがとう。