2万円

2020.11.26(11:00) カテゴリ:Essay

今から15年ほど前に、甲府駅ビル・エクラン(当時)の早朝の清掃のアルバイトをしていました。

20歳半ばで上京したもののなかなかうまく行かず、先に進むためにはデザイン力を身につける必要を感じたため、一旦山梨に戻り生活を立て直し、アルバイトをしてお金を貯めてMacの勉強ができる学校に通うことに決めました。

4年間生活をした東京を一旦離れ、故郷山梨に戻った私は、まずはお金を貯めるためのアルバイト探しを始めました。ハローワークに行くと、ちょうどエクランの清掃のアルバイト募集があり、すぐに面接を受けて採用という運びになったのです。

たった2年間お世話になった職場でしたが、素晴らしい出会いも多く、素敵な思い出もたくさん出来ました。

アルバイトを始め、甲府駅前にあったMacの学校に通い始めた私。人生の進路に悶々とすることも多かったのですが、それでも充実した毎日を過ごしていました。

時が過ぎ、ある程度Macが扱えるようになった頃のある日、東京の知り合いからニューヨークでのグループ展に参加してみないか? とお誘いを受けました。

今まで海外へ行ったことのなかった私。東京のイラストレーターたちとの感覚の違いが鮮明になり、これからどの方向に進んで行ったら良いのかを考えていたので、ちょうど良い機会と捉えて参加することに決めました。自分の自信のある作品をニューヨークで展示してみて、どういった結果が得られるのか試してみたかったのです。

結果は、作品が売れました。

嬉しさもひとしおで、作品が売れたことでこれから自分が進む方向がハッキリしましたし、もう一度、東京で挑戦してみようと決心しました。

職場の所長に相談すると「東京で新たに仕事を探すと大変だから」と、東京の他の駅ビル事業所に異動という形をとってくださり、そのご配慮に感激しました。

そして、いよいよ甲府駅ビルでの最後となる日に、職場の皆さんから封筒を手渡され、中には2万円が入っていました。餞別です。

この2年間、一緒に仕事をさせていただいた職場の人の中には、複雑な事情を抱えている人がいることを知っていました。「もう一度東京で挑戦したい」という、勝手な事情で職場を離れる私に餞別をいただくこと自体恐縮してしまいましたし、生活が決して楽でない人たちもいる皆さんからの2万円が、私にとってあまりに重かったのです。

その後、再び上京した私は、幸運なことにほどなく仕事が舞い込むようになり、イラストレーターとして自立することが出来ましたが、ひとり暮らしの部屋で深夜電気を消して、布団に入り天井を見つめていると、ふいに職場の皆さんの想いのこもった2万円の重さを思い返して涙がこみ上げてくることが度々ありました。

あれから15年近く経った今、細々だけど表現を仕事にしている私。生活は決して楽ではないけれど、幸せを感じる毎日を過ごしています。今のこの生活は、エクランの清掃のアルバイト時代に出会った多くの方々の気持ちの後押しがあったからこそと思っています。

そして時折思い返しては、感謝の気持ちでいっぱいになるのです。