5月の蜃気楼

2021.08.27(17:56) カテゴリ:Essay

今から20年ほど前のこと。

20代半ばで再び上京した私は、絵を抱えていろいろなところに出向いていって、さまざまな人たちに絵を観ていただいていました。

5月の天気の良い昼下がりに、大きな絵の入ったバッグを抱えて、恵比寿ガーデンプレイスを歩いていたら、近くから声をかけられました。

振り向くと、さほど年齢が変わらないと思われる女性が立っていて、

「抱えているバッグの中身、もしかしたら絵ですか?」

と聞かれました。

「はい、そうです。」

と答えると、

「見せてもらえませんか?」

というのです。

次の約束までまだ時間があったので、

「いいですよ」

と答えて、その場で絵を広げました。

その女性は興味深く私の絵を眺めると、

「シュールレアリズムのような絵を描くんですね」

と言ってから、ぽつりぽつりと自分のことを語り始めました。

美大で油絵を学んでいたこと。マグリットなどシュールレアリズムの絵が好きなこと。精神科の薬を飲んでいること。事情があって実家に帰れないこと。

などを見ず知らずの私にお話するのです。

複雑そうな背景をお持ちの様子のその女性は、今ランジェリーパブで働いていることを告げて名刺をくれました。

なんとなく元気がなく、虚ろな表情の女性。

私に助けを求めているのだろうか、と思いましたが、全く知らないこの女性に深入りするのも躊躇いがあり、「どうしたらよいだろうか・・」と戸惑っていたら、気付けば次の約束の時間が迫っていて、言葉少なく挨拶をして、その場を離れました。

20年近く前のあの蜃気楼のような出来事。

時折、あの女性のことを心配して思い出します。

あの女性からいただいた名刺は今でもとってありますし、元気でいてくれたらいいな、と思っています。