赦せていない私

2022.12.09(1:26) カテゴリ:Essay

「主の祈り」というキリスト教で最も代表的な祈祷文があります。

私は、運転中や通勤途中、就寝前など、日々の生活のいろいろな場面でこの「主の祈り」を唱えます。

先日、夜間の清掃のアルバイトが終わり、お月様が煌々と照らす真っ白な雪道を歩いている時に、この「主の祈り」を唱えると、突然わっと涙が溢れてしまいました。私たちの罪をお赦しください、と祈りながらも、私は人を赦せていないという矛盾が私の心を締めつけたからです。

その人の弱さや、能力の限界から吐き出た些細な言葉や行いをいつまでも赦せずにいる私の心は、小さく縮こまってしまっているのです。

赦すこと、赦されること、を願いながら、今日も「主の祈り」を唱えます。